山陰線の余部鉄橋1984年 コメントを残す 1984年7月31日に山陰線の余部鉄橋を通過する列車を撮影しました。 新大阪発博多行き82系特急まつかぜは、グリー車と食堂車を連結し10両編成で余部鉄橋を通過しました。 14系寝台特急出雲3号、この頃は出雲のヘッドメークは、掲げられず少し寂しいものでした。 大阪発米子行き、急行だいせんが、余部鉄橋を通過しました。 DD511109が牽引の545ㇾは5両編成の旧型客車の普通列車
紀勢線 撮影旅行 那智-宇久井 コメントを残す 紀勢線撮影旅行2日目、3月27日も快晴、那智のユースホステルで一泊し、みかん畑の上から撮影しました。その後紀伊田原に向かいました。 東京発紀伊勝浦行、寝台特急紀伊の新宮駅までの回送列車 203D急行きのくに 3M、381系特急くろしお
山陽本線 下関駅でブルートレインを撮影 コメントを残す 山陽線の下関駅は関門トンネルの東の出入り口で、ステンレスの機関車がけん引するため、切り離し、連結の作業が行われます。写真は1977年5月11日に撮影 東京行き、寝台特急あさかぜ号をけん引する、EF65535 東京行き、寝台特急富士号をけん引する、EF65512 東京行き、寝台特急はやぶさ号をけん引する、EF65509
山陽本線 戸田-富海 ブルートレインを撮影 コメントを残す 1977年5月10日、山陽線を走るブルートレインの撮影に出かけました。大阪駅を22時37分発の37M寝台特急明星7号で徳山へ、普通列車に乗り換えて戸田で降りて、徒歩で1時間かけて撮影ポイントへ向かいました。東京・大阪を出発した、ブルートレインが早朝から撮影できる場所として、有名です。 7ㇾ東京駅発の下り寝台特急富士、20系寝台から24系寝台に変更されました。13両編成(途中で切り離し)日豊線を鹿児島まで走りました。 東京駅発の下り寝台特急あさかぜ1号20系の寝台車両で博多駅を目指します。 大阪駅発、寝台特急安芸号、20系の寝台車両で運転されましたが、わずか3年半で廃止されました。 東京駅発の下り寝台特急あさかぜ3号20系の寝台車両です。
山陰線 大岩駅付近で、瑞風を撮影しました。 コメントを残す 87系気動車寝台特急瑞風 山陽・山陰周遊コースを山陰線の大岩-岩美間で撮影しました。春は桜の花の下で撮影できそうです。 国道9号線沿いの但馬街道踏切付近で8:51頃に撮影しました。午前中は順光なのでよい場所ですよ。 同じ場所で8:34頃、鳥取行525Dを後追い撮影しました。
87系寝台特急瑞風運転初日 コメントを残す 2017年6月17日、JR西日本の87系寝台特急「瑞風」運転の初日を迎えました。大阪を出発し京都から山陰線をにしに、下関へ向かいます。 豊岡-玄武洞間を14:05頃に通過しました。城崎を17:00頃の出発なので、豊岡駅で待機します。そのため、豊岡-城崎間で4回の撮影が出来ます。 18:01頃矢田川鉄橋を通過しました。夏場なら十分に撮影できる時間です。
東海道線 三島-函南 コメントを残す この区間は、上りの列車を富士山をバックに撮影できる場所ですが、あいにくの雨模様で、富士山を見る事はできませんでした。 EF65504牽引、東京行き8ㇾ富士です。 EF65528牽引の東京行き4ㇾはやぶさです。 熱海駅に停車中のEF65510牽引の、16ㇾ東京行き瀬戸です。写真は1977年1月27日に撮影
東海道線 根府川 白糸川鉄橋 コメントを残す 東海道線 根府川 白糸川鉄橋は1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災による、土石流で駅舎ごと破壊され、根府川駅に停車中の列車も相模湾へ流され、多くの犠牲者が生まれました。当時の東海道線は国府から御殿場を経由して沼津に通じ、国府から小田原を経由して根府川を通る路線は熱海線と呼ばれていた。東海道線はその年の10月28日復旧したが、熱海線は地震発生から1年半以上たった、1925年(大正14年)3月12日に白糸川鉄橋が完成して前線開通した。 EF15172がけん引する8373ㇾ貨物列車 1976年昭和51年9月8日京都を15:52分発790Mで米原へ、18;49発562Mで大垣へ20:25発344M東京行き普通列車に乗り熱海2:48に下車しました。約3時間待合室で夜を明かし、東京行き5:36発の普通で根布川で下車し、駅の近くの岩泉寺の境内から根府川、白糸川鉄橋を通過する東海道線上りのブルートレイン撮影しました。この日は台風17号の影響で朝から雨が降ったるやんだりの悪天候で、目的のブルートレインも1時間から3時間遅れで通過するなど最悪の撮影条件でした。岩泉寺の人は、まだ20そこそこの私に気さくにじゃべってくれたのが、何よりもうれしかったです。(撮影日記より) 14ㇾあさかぜ 16ㇾ瀬戸 2ㇾさくら 4ㇾはやぶさ 104ㇾ銀河 8ㇾ富士 EH10けん引の貨物列車 帰りは12:56発790Mで小田原へ、13:10発、新幹線、こだま233号で京都へ帰りました。帰りの新幹線も2時間の遅れで運転されました。