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山陽本線 戸田-富海 ブルートレインを撮影

 1977年5月10日、山陽線を走るブルートレインの撮影に出かけました。大阪駅を22時37分発の37M寝台特急明星7号で徳山へ、普通列車に乗り換えて戸田で降りて、徒歩で1時間かけて撮影ポイントへ向かいました。東京・大阪を出発した、ブルートレインが早朝から撮影できる場所として、有名です。
山陽本線 戸田-富海 寝台特急富士
 7ㇾ東京駅発の下り寝台特急富士、20系寝台から24系寝台に変更されました。13両編成(途中で切り離し)日豊線を鹿児島まで走りました。
山陽本線 戸田-富海 寝台特急あさかぜ
 東京駅発の下り寝台特急あさかぜ1号20系の寝台車両で博多駅を目指します。
山陽本線 戸田-富海 寝台特急 安芸
大阪駅発、寝台特急安芸号、20系の寝台車両で運転されましたが、わずか3年半で廃止されました。
山陽本線 戸田-富海 下り寝台特急あさかぜ
 東京駅発の下り寝台特急あさかぜ3号20系の寝台車両です。

東海道線 三島-函南

この区間は、上りの列車を富士山をバックに撮影できる場所ですが、あいにくの雨模様で、富士山を見る事はできませんでした。
 EF65504牽引、東京行き8ㇾ富士です。
 EF65528牽引の東京行き4ㇾはやぶさです。
 
 熱海駅に停車中のEF65510牽引の、16ㇾ東京行き瀬戸です。写真は1977年1月27日に撮影

 

東海道線 根府川 白糸川鉄橋

東海道線 根府川 白糸川鉄橋は1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災による、土石流で駅舎ごと破壊され、根府川駅に停車中の列車も相模湾へ流され、多くの犠牲者が生まれました。当時の東海道線は国府から御殿場を経由して沼津に通じ、国府から小田原を経由して根府川を通る路線は熱海線と呼ばれていた。東海道線はその年の10月28日復旧したが、熱海線は地震発生から1年半以上たった、1925年(大正14年)3月12日に白糸川鉄橋が完成して前線開通した。
ef15
EF15172がけん引する8373ㇾ貨物列車

1976年昭和51年9月8日京都を15:52分発790Mで米原へ、18;49発562Mで大垣へ20:25発344M東京行き普通列車に乗り熱海2:48に下車しました。約3時間待合室で夜を明かし、東京行き5:36発の普通で根布川で下車し、駅の近くの岩泉寺の境内から根府川、白糸川鉄橋を通過する東海道線上りのブルートレイン撮影しました。この日は台風17号の影響で朝から雨が降ったるやんだりの悪天候で、目的のブルートレインも1時間から3時間遅れで通過するなど最悪の撮影条件でした。岩泉寺の人は、まだ20そこそこの私に気さくにじゃべってくれたのが、何よりもうれしかったです。(撮影日記より)

asakaze1
14ㇾあさかぜ
seto
16ㇾ瀬戸
sakura
2ㇾさくら
hayabusa
4ㇾはやぶさ
ginga
104ㇾ銀河
fuji
8ㇾ富士
eh10
EH10けん引の貨物列車

帰りは12:56発790Mで小田原へ、13:10発、新幹線、こだま233号で京都へ帰りました。帰りの新幹線も2時間の遅れで運転されました。