土讃線 阿波池田でDF50と181系撮影 コメントを残す 1978年6月8日,予讃線の詫間-海岸寺で撮影した後、土讃線の阿波池田駅付近で撮影しました。 DF50573牽引の267ㇾ貨物列車 181系、12D特急南風
予讃線 海岸寺-詫間 コメントを残す 1978年6月8日に宇高連絡船に乗って四国に出かけました。カメラはニコマートFTNニコール50mmレンズで撮影 海岸寺-詫間DF5051牽引の4652ㇾ貨物列車 海岸寺-詫間 DF50572牽引の123ㇾ普通列車、最後尾にもDF50を連結しています。 キハ58系 603D急行宇和島 後追い撮影 DF50牽引の普通列車 DF50牽引の普通列車
紀勢線 撮影旅行 那智-宇久井 コメントを残す 紀勢線撮影旅行2日目、3月27日も快晴、那智のユースホステルで一泊し、みかん畑の上から撮影しました。その後紀伊田原に向かいました。 東京発紀伊勝浦行、寝台特急紀伊の新宮駅までの回送列車 203D急行きのくに 3M、381系特急くろしお
山陰線の保津峡駅 コメントを残す 現在は嵯峨野トロッコ鉄道嵯峨野線の保津峡駅です。1989年(平成元年)3月5日に山陰線、嵯峨野-馬堀間が複線の新線へ切れ変えられJRの列車は走らなくなりました。掲載する写真は1976年(昭和51年10月から12月に撮影したものです。 山陰線保津峡駅に侵入するDD51ディーゼル機関車牽引の238ㇾ普通列車1976年12月9日撮影 山陰線保津峡駅を発車するDD54ディーゼル機関車牽引の871ㇾ貨物列車1976年10月7日撮影 山陰線保津峡駅に侵入するDD54ディーゼル機関車牽引の京都行き328ㇾ普通列車1976年10月7日撮影 山陰線保津峡駅を発車するDD54ディーゼル機関車牽引の839ㇾ普通列車1976年10月7日撮影 山陰線保津峡駅へ侵入する、京都発82系気動車11D特急あさしお1号1976年12月9日撮影
山陰線・餘部鉄橋1 コメントを残す 初めて餘部鉄橋を訪れたのは1975年6月8日で、50ccのオートバイで自宅から2時間くらいかけて、行きました。写真の橋梁は1909年12月16日着工、1912年、1月13日に完成し、同年3月1日に開通した。全長310.59 m、下を流れる長谷川の河床からレール面までの高さ 41.45 m の鋼製トレッスル橋です。 1975年6月8日、余部鉄橋を渡るDD54牽引の835ㇾ普通列車 DF50に変わって、DD54がけん引する普通列車を撮影しました、現在と比べると、鉄橋も新しくなり、鉄橋下の風景も随分変わりました。 下りの急行但馬1号です。ゴミ落下の防止柵もなくすっきりとした鉄橋でした。 1975年6月8日、山陰線餘部鉄橋を渡る806D、58系急行白兎 現在では見ることができない、長編成の気動車急行です。道路事情が悪かったころは、鉄道が唯一の長距離移動の手段でした。
播但線生野峠 コメントを残す 播但線生野駅は和田山からと寺前から登ってきた頂上にあり、生野銀山の入口の駅でもあります。 SL時代は、和田山-寺前間には補機が付けられた。写真は昭和46年の撮影で寺前から生野峠を登るC5793の貨物列車の先頭連結されたDD54です。 昭和47年無煙化された後は、山陰線から転属したDD54が貨物や客車の牽引にあたりました。写真は昭和52年4月8日に生野駅の寺前側に歩いた場所で、1691レ和田山行き貨物列車を撮影しました。生野峠の頂上はすぐそこです。 生野トンネルを出たDD5432牽引の1692レ姫路行き貨物列車です。生野駅までもう少しの距離です。昭和52頃の貨物列車は一日1往復で貴重な列車でした。
豊岡機関区 1970年7月撮影 コメントを残す 1970年7月12日豊岡駅で撮影しました。C5752 入れ替え作業をするC5746 DD542は1966年に製造され、福知山機関区に配属され、山陰線、播但線、福知山線で運用されました。写真は豊岡駅で発車を待つ、貨物列車です。 DF50504 京都駅から米子行の下り普通列車です。
宮津線 桃の花畑 コメントを残す JR宮津線時代の春、モモの花咲く頃、キハ58系の普通列車がのどかにに走っていました。 1989年4月10日丹後木津-網野 西舞鶴行普通列車。現在は桃の花が少なくて、こんな光景は見れません。 1989年4月10日、丹後神野-甲山 豊岡行普通列車、現在も桃の花が咲き春には、ピンクの花が咲きます。